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日本史とともに歩む、神社仏閣 第12弾

日本史とともに歩む、神社仏閣 第12弾

 皆さん、こんにちは。本日は円町校の江島が【日本史とともに歩む、神社仏閣】第12弾をお送りさせていただきます。今回も京都を離れ、 “平安密教特集” です。以前、教王護国寺でもお話しした内容も出て来ますが、復習がてらお付き合いください。

延暦寺

 本日1つ目に紹介するのは、滋賀県と京都府をまたぐ比叡山の山中にある、天台宗の総本山、延暦寺です。天台宗の開祖である最澄(伝教大師)により、788年に薬師如来を本尊とする草庵を建てたのが始まりとされています。よくわからないと思うので適当に読み流しておいてください。

 奈良の平城京から都を移すにあたり、そこにはいくつか理由があったのですが、その1つとして「奈良の仏教政治を改めたい」という思いがありました。詳細は省きますが、奈良時代って「仏教と政治のかかわりが深すぎる」時代だったんです。お坊さんが天皇になろうとしてたくらいですから(笑)。だから、京都に都を移すときは「奈良仏教に関するものは持ち込まない」となったんです(今も奈良にたくさんのお寺が残っているのはこの名残なんですね)。でも仏教そのものは皆のために必要なんです。だから平安時代式の新しい、「政治と交わり過ぎない」仏教として、密教が選ばれ、その2大宗派が、天台宗と真言宗なのです。

 最澄は、近江(滋賀県)出身の人で、比叡山で修業をしたのち、唐にわたり天台の教えを習得し、天台宗を開きました。これまでの南都仏教(奈良仏教のことね)の常識とは一線を画した方法を取り入れたため、南都仏教から厳しい非難を受けましたが、彼はひるまず反論。最澄の思想が正式に認められたのは、なんと「彼の死後7日たった」あとなんです。死後に認められるってものなんかかっこいいですね。延暦寺は、その後に活躍する仏教僧にとっての大学のような場所となっていき、恵心僧都や鎌倉新仏教の6人の僧もすべてここで、天台カリキュラムを修了しているんです。天台宗は、現代まで生き残る仏教の生みの親的な存在なんですね。ちなみに天台宗のことを「台密」と呼ぶこともあります。

金剛峰寺

 次に紹介するのは、和歌山県にある高野山金剛峰寺です。こちらは、京都にある教王護国寺と並んで、真言宗総本山となっている寺院です。平安密教については先の延暦寺の部分で話した通りなのですが、「密教」っていったい何なの?って疑問もお持ちかもしれませんのでここでお話しておきましょう。

 「密教」というのは、人目を忍んで独自の厳しい修行を積み(だいたい山籠もりをすることが多い)、教えの境地に達するような仏教だと考えてください。広く民衆に向かって開かれ,その世界観を明瞭な言葉で説く「顕教」とは対の概念です。どんな修業を積んでいるかわからないのが、ミステリアスで素敵!って感じなのでしょう。南都仏教=顕教だったので、平安仏教=密教という構図になるのは当然のような気もしますね。

 真言宗の開祖はご存じ空海(弘法大師)です。金剛峰寺は、平安初期に空海本人の修行の地として創建されました。高野山全体が「寺」という考え方をするそうです。天台宗に比べて、金剛峯寺は「大学的」役割は持っていなかったようですね。

 空海は様々なところで名を残す伝説的な人ですが、彼は文学や、唐風の書道にも造詣が深く、様々な作品を残していたり、筆の巨匠として「三筆」にも選ばれています。ちなみにですが、京都のとある進学校は、夏休みになると、この地に勉強合宿に赴くことになっているようです。

 本日は以上です。お疲れ様でした。

投稿者:江島 祥人

  • 役職
    英語科主任/英語科講師
  • 講師歴・勤務歴
    7年
  • 出身大学
    大阪市立大学経済学部
  • 特技・資格
    特に目立ったものはないです
  • 趣味
    音楽鑑賞
  • 出身地
    京都府
  • お勧めの本
    武器としての決断思考

受験生への一言
初めて出会う事柄に対して、出来る限り「考えて」みてください。自分の価値観と照らし合わせてみて、ああだこうだと「腑に落ちる」まで考えてはじめてそれが知識となり、皆さんの力となります。