ホーム » 京都医塾公式ブログ » 京都医塾講師からのアドバイス » 日本史とともに歩む、京都の神社仏閣 第3弾

京都医塾公式ブログ

日本史とともに歩む、京都の神社仏閣 第3弾

日本史とともに歩む、京都の神社仏閣 第3弾

 皆さん、こんにちは、こんばんは。本日は円町校の江島が ”日本史とともに歩む、京都の神社仏閣” 第3弾をお送りさせていただきます。本日は鎌倉新仏教にまつわる寺院特集です。寺院の紹介というよりは、ほぼ日本史を絡めた背景知識語りになってしまいますが、是非とも足を止めて見ていってください。

知恩院

 祇園の八坂神社を北上すると見えてくる、巨大な寺院が「知恩院」です。初めて見たときは、その大きさに圧倒された記憶が今でも残っています。鎌倉時代に栄えた6つの仏教(鎌倉新仏教と言われています)の一つ、浄土宗の総本山としてとても有名なお寺なのです。浄土宗というのは、美作(現在の岡山県)の地方武士の息子である法然(本名は源空)という僧が1175年に開いた仏教の宗派です。

 ここでちょっと寄り道。なぜ鎌倉時代に新たな仏教が流行したのか。実はこれまでの仏教は、「皇族・貴族向け」のたしなみだったのです。しかし、それでは武士や庶民たちは救われない。そんな彼らの救済要求に応じるべく出来た、いわゆる「民衆仏教」にあたるのが、鎌倉新仏教なのです。学問や祈祷といった小難しいことは庶民たちにはわかりにくいということで、新仏教は易行(いぎょう:旧仏教の求める困難な修行を必要としない)、選択(せんちゃく:念仏・題目・坐禅のうちただ一つの救いの方法を選ぶ)、そして専修(せんじゅ:選びとった方法にひたすら打ち込む)という特徴を有しており、爆発的な人気を誇っていました。

 法然が開いた浄土宗は「専修念仏」という方式を取り、とりあえず「南無阿弥陀仏」をひたすら唱え続ければ良いとしました。とてもわかりやすいですね(旧仏教からは「仏教をなめるんじゃねえ」といわんばかりに多くの非難を受けましたが)。ちなみにですが鎌倉新仏教の開祖たちは、すべて天台宗での修行カリキュラムを修了しており、これらのルーツは天台宗にあるのだそうです。さすがは天台宗ですね。6つの宗派の中で最も早い時期に生まれた浄土宗の本部である、知恩院をトップバッターに添えました。

本願寺

 続きましては、本願寺です。これも非常に大きな寺院ですね。京都駅に向かうため、街中を車で走っていると否が応でも視線を向けてしまう、その存在感たるやすさまじいものがあります。先ほどの鎌倉新仏教の6つの宗派のうち、浄土真宗の総本山となっている寺院で、京都にかなり強く根付いている宗派ということもあり、京都では最も名を聞くものではないでしょうか。開祖は親鸞ですね。

 京都の貴族出身の親鸞は、9歳の時に「出家をしろ」と命じられ、比叡山延暦寺(天台宗の本部)に入りました。長きにわたる修行にもかかわらず「108もある煩悩に全然勝てなかった」として絶望し、しょんぼりして山を下りてきたのですが、ある日、夢の中で「法然に会いに行きなさい」とお告げを受け、その通りにしたことから彼の人生は一変します。「ただ念仏され唱えていればよい」という教えは、彼にとってこの上なく魅力的だったでしょう。法然に感銘を受け、自ら浄土真宗を開きます。だから浄土真宗も、基本部分は浄土宗を踏襲しています。人生どこかのタイミングで「念仏に頼り切ろう」と思う瞬間、気づく瞬間(一念発起)が大事なんだとしています。

 彼の教えの中で最も印象に残るものとして「悪人正機説」というものがあります。「善人が極楽浄土に往生できるのであれば、悪人ならなおさら往生できる」というものです。ん?おかしい!逆じゃないっすか?って思ったでしょうね。これにはちゃんと意味があって、ここでいう悪人は「凡人」のことを指すと思ってください。「なまじ頭が働く者よりも、おとなしく阿弥陀如来様にすがってくれる凡人のほうが、スムーズに極楽浄土にいける」としているんですね。こんな感じで彼の物言いは、誤解を生むものばっかりなんです。

 最後に、ご存じの方もいらっしゃるでしょうが、本願寺は2つあって、堀川通りに面しているのが西本願寺で、烏丸通りに面しているのが東本願寺となります。もともとは、1つの大きなグループだったのですが、江戸時代、徳川家康の策略により2つに分裂し弱体化してしまいました。それぞれ「お西さん」、「お東さん」と京都では言われています。

建仁寺

 最後に、建仁寺の紹介です。京都祇園の花見小路を下っていくと、ほどなくして出会う寺院です。もうおなじみ鎌倉新仏教の臨済宗の総本山である格式高いお寺なんです。開祖は栄西。先に紹介した浄土宗や浄土真宗とは違い、臨済宗は禅宗と言って、座禅を組んで自力で悟りを開くタイプの宗派です。座禅のさなか、師匠から与えられるなぞなぞ(禅問答)に答える「公案問答」というスタイルを取っています。実は私が通っていた保育園は、妙心寺という臨済宗のお寺の中にあったため、当然ながら臨済宗だったわけです。園長先生は住職さんでしたからね。土曜日には座禅会というイベントがあり、週に1回は座禅を組んでいました。私個人としては最も身近に感じた宗派なのです。あ、公案問答はさすがになかったですよ。真言宗や天台宗が「朝廷の宗教」というイメージが強かったので、それに対抗するかのように鎌倉幕府は、臨済宗に肩入れするのです。その結果、臨済宗は大いに幕府の保護を受け、これ以降も「幕府イチ推しの宗派=臨済宗」というイメージはしばらく続いていきます。

最後に

 日本史の文化の授業みたいになりましたが、京都の深い歴史にちょっと触れてみるきっかけにしてみてはいかがでしょうか。

それでは、本日は以上です。お疲れさまでした。

投稿者:江島 祥人

  • 役職
    英語科主任/英語科講師
  • 講師歴・勤務歴
    7年
  • 出身大学
    大阪市立大学経済学部
  • 特技・資格
    特に目立ったものはないです
  • 趣味
    音楽鑑賞
  • 出身地
    京都府
  • お勧めの本
    武器としての決断思考

受験生への一言
初めて出会う事柄に対して、出来る限り「考えて」みてください。自分の価値観と照らし合わせてみて、ああだこうだと「腑に落ちる」まで考えてはじめてそれが知識となり、皆さんの力となります。