ホーム » 京都医塾公式ブログ » 京都医塾講師からのアドバイス » 日本史とともに歩む、京都の神社仏閣 第10弾

京都医塾公式ブログ

日本史とともに歩む、京都の神社仏閣 第10弾

日本史とともに歩む、京都の神社仏閣 第10弾

 皆さん、こんにちは。本日は円町校の江島が「日本史とともに歩む、京都の神社仏閣」第10弾をお送りさせていただきます。

南禅寺

 記念すべき第10弾の1発目を飾るのは、南禅寺です。京都市左京区、平安神宮や京都市動物園のそばに位置する、臨済宗大本山のお寺です。1291年、亀山法皇(後嵯峨上皇の皇子)が、大明国師という僧を招いて開山しました。亀山法皇と言えば、鎌倉幕府滅亡時、分裂していた天皇家の一派、大覚寺統の祖として有名な人です(当時は亀山天皇でした)。のちに後醍醐天皇を生む系統でしたね。日本史学習者なら基本知識ですよ。

 第5弾でお伝えした通り、室町幕府は、幕府イチオシの臨済宗寺院の組織化を目的とし、五山・十刹の制のもと、鎌倉と京都それぞれに臨済宗寺院のベスト5を設定しました。京都五山のうち、第1位:天龍寺、第2位:相国寺、第3位:建仁寺は、当シリーズにおいて既にご紹介していたんですね、実は。そんな格式の高い寺院たちの頂点に立つ、その名も「別格本山」に位置付けられた寺院、それが南禅寺なんです。幕府からすればぶっちぎりでエライお寺だったというわけです。

 もう一つ、南禅寺関連で挙げておく日本史ネタと言えば、やはり「金地院崇伝」の存在でしょうか。江戸時代の初代将軍、徳川家康の右腕的存在だった人物です。家康は江戸幕府を作ったあと、意外と早く息子の徳川秀忠に将軍職を譲り、自らは大御所として秀忠のバックアップ?をします…裏で糸を引いていただけでしょうが。その際、家康を支えていたのが、「黒衣の宰相」こと金地院崇伝(南禅寺の金地院というところに住んでいたのでこんな名前)でした。1615年、2代将軍徳川秀忠の名で発した武家諸法度、いわゆる「元和令」の完成は、彼の力に依るところが大きかったそうです。京都イチ有名…というわけではないかもしれませんが、京都イチ威厳のある寺院といえば、南禅寺だと個人的には思っています。

妙心寺

 続きましては、私個人としても縁の深い妙心寺のご紹介です。京都市右京区に位置する、臨済宗大本山の寺院で、円町校からも近く、バスを利用すれば10分ほどの距離にあります。既に第3弾にてお話をした通り、私の保育園が、この妙心寺の中にあったのです(もちろん今でもありますよ)。「座禅会」という精神を鍛える修行?や、真冬に上半身裸でマラソンをする「風の子大会」、妙に体つきの良いお坊さん扮する鬼がリアルすぎて、本気で泣いた「節分」など、思い出は尽きません。また、私の祖父と祖母が眠る地でもあるんです。葬儀や法事の際に住職さんが読むお経(十句観音経)が、私がまだ幼いころにわけもわからず毎日唱えていたものと同じだったことにはとても驚きましたし、過去の記憶がフラッシュバックする瞬間でもありました。ということで、我が家はいつしか臨済宗の檀家となっていました。

 日本史的には、やはり退蔵院所蔵の国宝「瓢念図」という水墨画が有名ですね。如拙という僧が描いた、「ナマズを瓢箪で押さえる」という内容の作品です。室町文化では必ず押さえておくべきものです。せっかく記念すべき第10弾ということで、思い入れの深い妙心寺をここで入れさせていただきました。

最後に

 節目も迎えたことですし、そろそろ京都から出ようかな。

 本日は以上です。お疲れ様でした。

投稿者:江島 祥人

  • 役職
    英語科主任/英語科講師
  • 講師歴・勤務歴
    7年
  • 出身大学
    大阪市立大学経済学部
  • 特技・資格
    特に目立ったものはないです
  • 趣味
    音楽鑑賞
  • 出身地
    京都府
  • お勧めの本
    武器としての決断思考

受験生への一言
初めて出会う事柄に対して、出来る限り「考えて」みてください。自分の価値観と照らし合わせてみて、ああだこうだと「腑に落ちる」まで考えてはじめてそれが知識となり、皆さんの力となります。