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塾長「清家二郎」ってどんな人!?京都医塾のキーマンの素顔に迫る

塾長「清家二郎」ってどんな人!?京都医塾のキーマンの素顔に迫る

こんにちは! 医学部専門予備校「京都医塾」です。

京都医塾には個性豊かな講師が多数在籍しています。 
そんな講師たちを束ねるリーダーで、受験生みんなを支えるお父さん的存在が清家塾長です。熱い情熱で医学部受験に向き合い、生徒たちからも親しまれている、清家塾長。東大を卒業後、大学院在籍時に信州大学医学部へ合格し、医師を目指していた過去もありながら、現在は京都医塾の塾長としての活躍しています。
いったいどのような人物なのでしょうか?

今回、清家塾長へのインタビューを通じて、過去の歩み、人物像、教育への思いに迫っていきます。 

プロフィール

清家二郎塾長JK
京都出身。洛星中・高卒業後、浪人し、東京大学理科I類に合格。大学院在籍時に信州大学医学部を受験し、合格。同大学卒業後、塾講師としての道を歩み、現在は京都医塾で塾長を務める。スポーツが好きで、休日には子どもとサッカーなどスポーツを一緒に楽しんでいる。

京都医塾で塾長になるまでの軌跡

―本日は、よろしくお願いします。まず、清家塾長はどのような幼少期や学生時代を過ごしてきたのでしょうか。

私は京都で生まれ、高校生までは京都市内の学校に通っていました。祖父と父が医師で、診療所を営んでいたので、子供の頃からその仕事を見ながら育ちました。一方、母方の祖父は教師でしたので、「教育・教師」に対する興味もありました。その後、医学部への進学、塾講師としての道を歩むことになったのは、家族からの影響があったのかもしれません。

―なるほど。身近な家族に「医師」や「教師」がいたことで自然と影響を受けていたんですね。

中高は洛星中高に通い、ハンドボール部や合唱同好会に入って活発に活動していました。体を動かすことは今も好きですね。しかし、当時は特に熱心に勉強をしていなかったため、大学受験に臨むも残念ながら完敗し、浪人することになりました。
その後、東京で浪人するのですが、一浪の受験直前に気胸になってしまい、12月から春まで入院生活を余儀なくされ進学もかないませんでした。それまでは若気の至りで「気合でがんばれば何とかなる」といった精神論者でしたが、そうもいかず……。体調が維持されなければ、いくら臨んでも気持一つで戦えるものではないのか、と一気に考え方が変わりましたね。

ー受験できなかったことは精神的なショックは大きいですよね。

それをきっかけに気持ちが折れ、当時は桜を見るのも嫌なほど春が嫌いになりましたし、勉強から一気に気持ちが離れていきました。退院後は受験勉強もせず、アルバイトや趣味のスポーツに没頭していました。草野球チームにも入り、おじさんたちとワイワイやっていましたね。

―しかし、その後東大を受験し、合格されています。挫折から立ち直ったきっかけはありますか?

ある日突然、草野球のおじさんたちから「いつまでこんなことしているの? 両親が心配してるんじゃないの?」と言われました。また同時期に、受験生時代に東大を目指しながらも別の大学に進学した友人に再会した際、彼が東大に対する未練の言葉を口にしていたことを思い出しました。
当時は大学に行くことを真剣に考えていなかったのですが、ふと「将来、歳を取った自分が家族を持ち、言い訳交じりに東大のことや大学受験に対する未練を口にしている」姿が目に浮かびました。身近な人たちの言葉をきっかけに「受験をやり切ってなかった、自分にケジメをつけよう」と一念発起し、再受験。22歳のとき東大理I類に合格しました。

―周囲の言葉があり自分の将来を具体的にイメージするようになったんですね。しかし、なぜ農学部だったのでしょうか?

当時は、都市工学や擬西洋建築に興味があり理科一類に進学したのですが、一方で、生命科学にも興味がありました。結局、農学部に進み住宅に使われるような木質材料などを研究していました。具体的には、木材が人に与える影響など工学と農学・生命科学の境界領域が専門でした。しかし、人体への影響を考えたり、周囲の人たちの研究の姿を見ているうちにますます生命科学への興味が強まっていったんです。
そしてある時、「自分はなぜ、東大を選んだのか」その理由を考え始め、いろいろな迷いが生じたんですね。

―そこから、医師になるため医学部を目指すのですか?

はい、先ほどお伝えした生命科学への関心に加え、元々子どもが好きで、勉強やスポーツなどいろいろなことを教える活動をしていたんです。その中で、病気の子供や体調を崩した子供に対しては、医師でも看護師でもない自分が、「プロフェッショナルとしては何もできない」という現実を目の当たりにしました。そこで、医師になることを決意。でも、両親に医学部受験をしたいと話すと、大反対されましたね。

―お父様も医師だったのにですか?

そうなんです。開業医でしたが、喜んでくれる様子は全くなく完全に反対でした。
東大に進学するまでは自由に何でもさせてくれたのですが、この時は「一つのことをやり遂げられない人間は、すべてを中途半端にやめてしまう。本当に医学の道に行きたいのなら、東大を卒業してから自分の力で行きなさい」と言われました。それで、東大卒業後、大学院在籍時に信州大学を受験し、医学部に進学することになりました。

―医学部に入ってからは、順風満帆に過ごされたんですか?

実は医学部に入ってからも「子どもに教えること」と「子どもに医療に携わること」で悩みます。本当に自分がしたいことを悩み続けた結果、医師免許の国家試験の学習に専念できず、体調にも影響が出て不合格に。そして生きるために、東京で講師の仕事をしていました。

―現在の講師の仕事ににつながっていくのですね。京都医塾と出会ったきっかけは?

父が亡くなったことをきっかけに、地元・京都へ帰ることにしました。
たまたま妹の配偶者の実家を訪れる機会があり、近くにある京都医塾を発見。即電話し、面接を取り付けて、採用していただきました。そして、10年以上の時を経て塾長をさせていただいているというわけです。

京都医塾での塾長の姿

―様々なきっかけがつながり、京都医塾で塾長をされていることがわかりました。清家塾長は、日頃生徒と向き合うときにどんなことを大切にしていますか?

本気で対峙することを大切にしています。1人ひとりの生徒に親御さんがいらっしゃいます。生徒たちは親御さんにとって世界で一番の宝物です。その大切な宝物を預けていただいているからには、どんなときも本気で向き合うことが、私の使命だと思っています。

―本当に子どもが好きだからこそ、親御さんの気持ちまで想像できるのですね。では、講師としてのやりがいを感じるときはどんなときでしょうか?

長く講師をやっていると、生徒たちが「変わる瞬間」に立ち会うことができます。目の輝き、発する言葉や声、親御さんに対する態度までも変わるんです。自分が接することによって、彼らが良い方向に「変わった」ときは本当に嬉しいですし、やりがいを感じます。
また、卒業生たちが夢を叶えて頑張っている姿を見るのは本当に幸せです。

―これまで様々な生徒を受け持ってこられたと思いますが、特に印象に残っている生徒のエピソードはありまか?

本当に印象に残っているのは、京都医塾に来るまでに、大きな悩みを抱え、苦しみながら勉強をしてきた子たちのことですね。私自身が、病気で思いっきり受験できず挫折した経験があるので「なんとかしてあげたい」という気持ちになります。時に厳しいことも伝えますが、「例え私のことを嫌いになってもいいから、この言葉をきっかけに奮起して、自分の為に合格を掴み取って欲しい」と思いながら話をします。

―学習において、講師・生徒が大切にすべきことを教えてください。

生徒が大切にすべきことは「絶対基礎の知識を固めること」その為に「必要なだけ繰り返すこと」。そして、「わかった」「できる」と思ったことは、「人に教えられるか?」の意識で確認することです。
私は、浪人生時代から家庭教師をしながら、小学生〜高校生、浪人生にも勉強を教えていました。私自身の「受験に対する学力」が大きく成長しピークを向かえたのは、習っている時ではなく、まさに教えているときでした。「教える」という経験の中で、基礎知識群と問題が組み立てられている背景、意図、次の展開が見えるようになりました。医学部入試の問題を解くために必要なのは「絶対基礎知識」であり「本質的な理解」です。自分よりできない人に教えられたら、本当にわかっている、ということです。
講師として大切なことは、「生徒さんは一人一人全く異なる人間である」と意識することです。固定概念を捨て、その生徒さんをよく理解して、その生徒さんのための教え方を工夫することです。そして、講師・スタッフがチームを組んで協力し合いながら、その生徒さんを成長させます。つまり「教育はひとりのために生まれる」なのです。

塾長のプライベート 地元・京都での暮らし

―ここまで、塾長のこれまでの歩みや京都医塾での様子を伺ってきました。プライベートのことも教えてください。ご出身は京都ですが、地元・京都の好きなところを教えてください。

京都の好きなところはたくさんありますが、古いものと新しいものが共存しているところ、大きい街なのに自然にすぐ手が届くところ、また、歴史上の人物たちが「ここに生きていた」という痕跡と残像にどきどきします。

―京都はエリアごとに違った魅力がありますよね。特に好きなエリアはありますか?

そうですね。本当にどのエリアもそれぞれの異なる魅力がありますが、この京都御所周辺もワクワクしますね。有栖川旧邸や聖アグネス教会、大丸ヴィラなどが隣り合って並び、平安時代と明治時代、昭和初期のヴォ―リズ建築が時を経て当たり前に見事に共存しています。時間があるときは散歩しに訪れますよ。

―御所の中は自然もいっぱいでゆっくり過ごせますよね。では、休日はどのように過ごしておられますか?

小学生の息子と思いっきり遊んでいます。
僕も息子もスポーツが好きなので、サッカーボールを蹴りながらひたすら児童公園巡りなんかをやっていますよ。
この前の日曜日には6つの公園を歩いてまわりました。

―アクティブですね! スポーツや子ども好きの清家塾長らしい休日の過ごし方で微笑ましいです。京都で行きつけのお店などはありますか?

今はなかなか外食にも行けないのですが、国際会館近くの「グリルじゅんさい」という洋食屋さんです。私の亡き父や母も好きで、家族の思い出が詰まった大切なお店です。

生徒からの声

ここで、京都医塾の生徒から見た塾長の姿を紹介していきます。

Aさん

廊下ですれ違う時にはいつも笑顔で挨拶をしてくれる塾長。困っているときにラムネをくれますし、何でも相談にのって励ましてくれます。以前「受験の時にメンタル面が不安です」と相談に行ったときに、ラムネと熱い言葉で激励してくれました。あの時は、ありがとうございます。

Bさん

塾長は、生徒1人1人のことをよく見てくれ、どんなに忙しくても、相談があれば必ずどこかで時間を作ってくれます。話をしていると、仕事に全力なのが伝わってきて、塾長の言葉を聞いているとやる気が湧いてきます。私も最後まで頑張るので、全力でサポートお願いします。

Cさん

笑顔で、とにかく熱い思いを持っている塾長。いつでもポジティブな言葉をくださり、塾長のおかげで医学部に対する意識が変わりました。塾長に会えて本当に良かったです。

Dさん

受験に失敗して、絶望し弱気になっていた私に対して「僕を信じて一緒に頑張ろう」と言ってくれたおかげで立ち直れました。苦手教科があっても、励ましてくれたり、時には厳しい指導もあり、最近では苦手意識もくなってきました。受験の真っ最中ですが、最後まで頑張りたいと思います。

京都医塾で描く未来

―これまで10年以上、京都医塾で講師としてキャリアを積んでこられましたが、これから京都医塾で成し遂げたいことや夢はありますか?

現在も、多くの生徒や親御さんから、「ここまで細かく見てくれるなんて」と言っていただけますが、一人ひとり全く異なる生徒たちの状態をしっかり見て、必要なサポートをさらに適切にできる環境にブラッシュアップしていきたいですね。

―新型コロナウイルスの流行により、社会全体が変化の時を迎えています。この変化が激しい時代に、どんな思いで生徒たちをサポートしていきたいですか?

新型コロナウイルスの感染拡大により、医療現場は非常に逼迫しており、大変な状況であったことは報道を通して生徒たちも知っています。自分の家族や自らの健康・命のリスクを冒してでも戦う医療従事者のみなさんの姿を目の当たりにしても、逃げるどころか、「医師になろう」と決意し、一層モチベーションを上げて、日日勉強に打ち込む姿に正直頭が下がります。

ありがとう」という気持ちでいっぱいです。ありがとう。

私にできることは、そういった将来の医師の卵を育て、これからの世界を支えてくれる若者を全力でサポートすることです。数ヶ月先の未来も見通せないこの時代に、生徒たちが迷うことなく「今、この場所で、この努力を続けることが正しいのだ」と信じて邁進できるようサポートしています。

―これから先、このような有事があるかもしれないということを承知の上、その覚悟を持って医師を目指す姿は本当に尊敬に値しますね。では、京都医塾を卒業する生徒には、どんな医師になって欲しいですか?

医師というのは、体あるいは心を病んだ人を癒すため、自らをささげる職業です。様々なバックグラウンドを持った人が患者さんとしてやってきます。どんな人が来てもしっかりと受け止められるよう様々な人々と交わり、世界を知って欲しいです。例えば、多種多様な人が訪れるようなところでアルバイトを経験して欲しいと卒業する生徒たちには伝えています。医学部や医師の世界はとても狭い世界なので、社会を知ることはとても大切だと感じています。色々な人の気持ちが分かる医師になるためにも、世界を広げていって欲しいですね。

―では、最後に京都医塾へ入塾を検討している方にメッセージをお願いします。

この時代に、人生をかけ医師を目指す受験生諸君へ「ありがとう」

医師を目指す全国の受験生諸君、受験は「人生の転機」となる瞬間です。

迷いがあるなら、何でも相談してください。京都医塾が、君たちが人生の転機を過ごすべき場所であるかどうか、本物であるか、一度体感しに来てください。自分がどうしたいのか、何をすべきなのか。はっきりします。

本気で「医師になる」 もしも、そう覚悟を決めたならば、一緒に戦いましょう。

最高の京都医塾チームが待っています。