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「成功への近道は、感謝の気持ちと目的意識を持つこと」小児科医 浅井大介医師 vol.1

「成功への近道は、感謝の気持ちと目的意識を持つこと」小児科医 浅井大介医師 vol.1

あなたが「医師になりたい」という夢を抱いたのはいつですか?

「医師になる」ためには、6年間、医学部で学んで卒業し、医師国家試験に合格する必要があります。
そして、臨床研修で実務経験を積むことになります。

京都医塾は大学受験のための予備校ですが、
「医学部に合格すること」はゴールではなく、あくまで通過点だと考えています。

じつは、京都医塾では、国公立志望/私立志望にかかわらず、国語の授業が年間通して設定されています。そこでは、1対1の面接・集団討論・小論文や志望理由書の書き方など各種対策を進めながら、さまざまな医療テーマに触れることになります。

・ 自分の頭で考え、それを他者に伝える。
・ 他者の意見を聴いて、自分の考えを深める。

そうして、「医師になる」という「決意」を固め、医学部に合格したあとの短くはない道のりを、前を向いて歩み続けられる力を身につけてもらっています。

このブログでは、実際に「医師になる」という夢を叶えて、医療現場でご活躍されている
全国のスーパードクターのみなさまにインタビューして、

・ 医師になったきっかけ
・ 現在のお仕事のやりがい
・ 医学部を目指す受験生へのメッセージ

について、お伺いしていきます。

受験生のみなさんが、医師として働くイメージを広げる一助となれば幸いです。

「医師になる」と決意したのはいつ?

京都医塾)医師になりたいと思ったきっかけやエピソードについて教えてください。


浅井先生(以下、浅井))私は小学生の学習塾の入塾試験に2回落ちるほど勉強ができませんでした。母の意向で受験した立命館中学も落ち、ダメもとで受けた同志社高校も落ち、洛北高校の進学クラスも落ちました。勉強もスポーツも得意でなく、友人も少なく、自己肯定感のとても低い状態で高校3年生まで過ごしました。


京都医塾)先生にもそんな時期があったんですね、驚きました、、、

浅井)医師になろうと思ったきっかけは、高校3年生の時にシュバイツアーの伝記に触れ、「自分も途上国で活躍してみたい!」思ったことです。自己肯定感の低い要因が受験の失敗にあると考え、過去の自分と決別するために、最難関の国公立 医学部を目指すことにしました。
しかし、その時点では文系で偏差値は30台だったので、浪人して医学部を目指すことになりました。大手予備校にはたくさんの友人が行くため、あえて医学部受験に定評があった別の予備校に行きました。しかし、初日から東大の過去問が出されたりして全く勉強のやり方がわからない状態で、夏までにはひきこもる状態でした。
2浪目は大手予備校、3浪目は宅浪で勉強しましたが、全く成績は振るわず、親族からは責められ、友人からも「いつまでこの状態を続けるんだ」と言われ、仕方なく北海道の私立大学に入学しました。
北海道で過ごした3年間は、バイク、麻雀、パチンコに明け暮れる日でした。

京都医塾)北海道にいる間も、「医師になりたい」という気持ちは変わっていなかったのですか?

浅井)それは変わらなかったですね。23歳の時にこのまま北海道にいても仕方がないと考え、大学を中退して京都に戻ることにしましたが、その日が私の運命を変えた日でした。
京都の港にフェリーが着くと、約束もなく両親が港まで迎えに来てくれていたのです。 「お帰り」と言ってくれた両親は、23歳まで親不孝しかしてこなかった私を受け入れてくれたのです。
これがきっかけで、「今度こそ本気で死ぬ気で頑張ろう」と心を入れ替え、行動を変えました。すなわち勉強の仕方を徹底的に研究したのです。やる気はあってもこれまではやり方が分かっていなかったことに気付いたからです。

京都医塾)ご両親への感謝の気持ちを強く持たれたのですね。その日が転機になって、心を入れ替えてからは、どんなふうに勉強をされたのでしょう

浅井)大学受験の成功には英語を攻略することが何よりも不可欠だと考えました。新聞配達のアルバイトをしていたのですが、その時も英単語カードを暗記し、同じ参考書を何度も繰り返すことで英語は偏差値70を超えるようになり、全国記述模試では2番を取りました。次に数学は細野先生の実況中継という本に出会い、まず答えを見て解法を理解しながら覚える作業をすると一気に偏差値70に到達しました。自分なりの勉強法を確立しましたね。すなわち5回以上繰り返しできる参考書に出会い、「その参考書で解けない問題はない」という状態に全ての科目をもっていきました。
国語、理科、社会も解法を理解しながら解けるようになるまで何度も同じ問題を繰り返すことで偏差値60を超えるようになりました。

京都医塾)そのころは予備校には通っていたんですか?

浅井)はい。予備校の授業は必要な講座だけ受講し、当時三大予備校といわれた駿台、河合塾、代々木ゼミナールの模試はすべて受けました。予備校や模試は、ペースメーカーとして使っていましたね。

24歳から3年かかって念願の国立医学部に合格できました。
医学部受験での経験は、医学部生活や医師としての仕事だけでなく今のクリニック経営にもとても役立っています。

京都医塾)受験の経験が大学生活やお仕事や経営にまで役立つのですね!

浅井)そうなんです。まとめると6つです。
① 締め切りまでの業務を細分化する
② 毎日、毎週、毎月の目標を立ててその成果を記録し、改善を図る
③ 知識が乏しい段階では予習0、復習100で徹底的に解法を覚える

④ やる気を維持するための方法を早期に確立する
疲れたら勉強する課題を早めに変える、休憩はゲームやスマホをするのでなく暗記科目や得意な科目で休憩する、勉強する場所を細かく変える(私は喫茶店、マクドナルドをよく使いました)、思い切って何もしない日をつくってリフレッシュする
⑤ 出会いを大切にする
友人にとても助けられましたし、いい参考書やいい先生に出会うことが合格への近道です
⑥ 単調な課題をおろそかにしない。( 受験で言うと英単語や発音アクセント、漢字、計算問題など。ここで点数を落とすようでは成績は安定しません。)

京都医塾)なるほど!受験の中でこういったことを学びつつ、ご自身でトライアンドエラーを繰り返しながら、医学部合格を果たされたんですね!浪人されていたときには、不安もあったと思いますが、どのようなことを考えたり実践して、それを乗り越えられましたか?

浅井)同級生が先に就職、結婚する状況に取り残された気持ちになりましたが、「そもそも医学部を受験することを決めたのは自分だ」ということに気づいてからは、迷いや辛さは消えました。浪人して受験勉強をさせていただいていることに感謝するようになってからは成績がとても伸びました。全ての問題は自分にあると気づいたのです。他責では何も解決できません。自分の行動を変えることこそが壁を乗り越える秘訣です。

京都医塾)京都医塾では、「本気の覚悟」があるか、入塾前にしっかりと考えてもらっています。本人に「やらされている感」が残っていると、いくら全力でサポートしても医学部合格は難しいとお伝えすることもあります。そういった意味でも。浅井先生が仰っているように「自分で決意して、自分の行動を変えること」は非常に大切なことだと思います。また、家族や周りの人への感謝の気持ちを持つことも忘れてはならなりません。浅井先生は、感謝の気持ちと目的意識をしっかりと持って受験に向き合い、結果を出されていて、本当にすごいです! ( vol.2に続く )

おわりに

vol.2では、実際に医師になられてからのお仕事とそのやりがいなどについて、引き続きインタビューさせていただきました。

医師になりたいけど、「何をしたら良いかわからない」「勉強方法について相談したい」等ありましたら、下記リンクからお気軽にお問い合わせください。